道東出身著名人に道東の思い出を語っていただき、、道東の外へ飛び立とうとするものへのアドバイスをうかがうインタビュー連載「こんなところに道東人」。
「ZIGGY」のメンバーとして活躍した釧路市出身のミュージシャン・大山正篤さんの後編をお届けします。
前編はこちらから→https://do-life.jp/happen/4402.html/
【取材協力】東京・新宿「ROCK CAFE LOFT is your room」
食文化の違い・戸惑い
――東京の食べ物で驚いたことはありますか?
よくぞ聞いてくださいました! 学生だし、お金はないじゃないですか? それでコンパとかでなんの変哲もない飲み屋に行くわけですよ。それで、メニュー見てたらホッケがあるから「すみません、ホッケください」って言って、出てきたらサイズがこんなもんなんですよ!! (指で20センチくらいのジェスチャー) 思わずいや「これはアジでしょ」って「すみません、ホッケ頼んだんですけれど……」って言っちゃいました。
――そんなに違うものなのですか?
北海道では居酒屋でもこれくらい(肩幅くらいのジャスチャー)はあるんですよ。大きくて新鮮で美味しいんです。東京に出てきてホッケのサイズが一番の衝撃でしたね。まぁ、でも、お金に糸目をつけなければ東京のものが一番美味しいですよ。いいものが全国から集まりますしね。でも、カニは違うんじゃないですかね~。東京で美味しいカニに出会ったことがないです。ハナサキガニなんか、最高ですね。
――東京で北海道料理が食べたい時に行くお店はありますか?
最近になってやっと「できてきたな」って感じですけれど、まぁ、ジンギスカン屋さんくらいですね。でも、ジンギスカンは家庭料理なので僕にとってはお店で食べるものじゃないんです。北海道の人たちはみんなあの鍋持ってますよ。僕は今の東京の家にも置いてありますけどね! それと、東京だと、ラム肉を「柔らかいでしょ、臭くないでしょ」って売りにしてるところが多いんですが、僕らからしたら「肉が固くて臭くないとジンギスカンじゃないでしょ!」って思うんです。我々のジンギスカンは「ラムロール」っていう肉を薄切りにして巻いた成形肉でやるんです。
――東京で大山さんのおすすめのジンギスカン屋さんってありますか?
『みなとや』っていうジンギスカン屋さんがおすすめですよ! 『みなとや』さんには「ラムロール」があるんですよ!! 「かぁちゃーん」って思いながら食べてますね。あれに慣れるとあれしか食べたくなくなりますよ。あと、道東ならタレは「ベルのタレ」ですね。うちの冷蔵庫でも「ベルのタレ」を切らしたことはないです。最近、ようやく東京でも買えるようになったんですよ。
――他に、“ふるさとの味”ってありますか?
あとは「スパカツ」ですかね。高校生の頃は食べてましたね~。今はもうあれを食べられる年齢じゃなくなってるので。ボリュームとカロリーが半端ないので考えただけで胃がもたれてきます(笑)。それと、ザンギはソウルフードですね! こっちでいう唐揚げをザンギだと思ってましたから。あと釧路は「竹老園」のお蕎麦ですかね。緑色の海藻を練り込んだお蕎麦なんですよ。今でも実家に戻ると「竹老園」のお蕎麦は食べに行っちゃいますね。
大山正篤の音楽活動ヒストリー
食べ物の話で盛り上がりすぎて音楽についてのお話を聞き忘れておりました。ここから大山さんの東京での音楽活動のお話へ。
――東京へ出てきてバンド活動を始めたきっかけは?
原宿に昔「東倫」っていうパンクショップ屋さんが、プラザビルというロックショップがいっぱい入っているところにあって、そこに遊びに行ったら、いきなり店長に「キミ、かっこいいね! バンドやらない?」って声かけられたんです。ベースとボーカルはすでにいたので、僕の知り合いのギタリストを誘ってその4人でバンドを始めたんです。その店長がライブハウスの新宿ロフトの店長と友達だったから、僕の東京発ライブはなんと、「新宿ロフト」なんですよ! そこから人脈が広がっていって「G.D.FLICKERS」に辿り着き、そのまま「ZIGGY」にまで繋がっていくんですね。
――「ZIGGY」で一緒だったベースの戸城憲夫さんにバンドに誘われたことがその後の音楽活動のきっかけですよね?
そうですね、僕は「ZIGGY」の前に「G.D.FLICKERS」(以下GD)のオリジナルメンバーでした。GDは設立から2年くらいいたんです。大学の先輩だった戸城さんが先にいて、その時はちょうど僕もブラブラしてたんで「ドラムがいないから」と言われてやることになりました。
――戸城さんとは元々仲が良かったんですか?
軽めの音楽サークルに入っていたんですが、GDのJOEさんも戸城さんもそこの先輩だったんです。新歓コンパの時にマーティ・フリードマンみたいな頭をしたやたらノリの軽いお兄さんが現われて「お前ら新入生か、パンク好きだろ! ひゃはは」って絡んでくる人がいたので、「失礼なヘヴィーメタルのお兄さんだなぁ」って思ってたら、それが戸城さんでした。おまけにそのサークルに属してないっていう(笑)。当時、戸城さんはすでにヘヴィーメタルバンドをやっていて、戸城さんとJOEさんが仲良かったんで、「おまえドラムだししばらく叩かない?」って言われて作ったのがGDなんです。
――この後、1990年代に大活躍したバンドの「ZIGGY」に加入するわけですよね。その当時の思い出を聞かせていただけますか?
「ZIGGY」の頃は、とにかく寝る暇がなかったですね……。ツアー場所が近場だったら、ライブの後も髪が立ったまま東京に戻ってレコーディングの続きをしたりして、それからまた移動中にちょっと寝てっていう感じでしたね。
――まさに売れっ子という感じですね。
うーん、でも、正直、“やりがい”はあんまりなかったですよね。ご褒美が目の前にあればもう少し人間頑張れるんでしょうけれど、印税とかは半年後じゃないですか。当時は「これだけやってるのにな~」って思ってしまって。あとはツアーばっかりやってたその生活の中で、自由度がほぼなかったのもありますね。日本って繁華街の作りってだいたい同じなんですよ。どこに行っても、会場のホールから事務所が打ち上げで予約した飲み屋に移動してただけなので、ある時、名古屋で「ジャジャーン!」ってライブが始まって、森重(樹一)が「行くぜ、京都ーーー!」って言ってて(笑)。僕は後ろで「ここ名古屋だけどね~」って笑ってました。それから森重のステージモニターの横にセットリストが書いてあるんですけど、そこに地名がでっかく書いてあるようになりました(笑)。それくらいどこがどこだかわからなくなってたんですよね……。バンドが大きくなって新幹線移動になってからは特にそうでしたね。売れる前は機材車移動だったんですけれど、まだそっちの時の方が思い出に残ってますね。
――怒涛のツアー後からの、ZIGGY脱退なんですね。
僕は「解散」って訊いてたんですけどね。まぁ、当時バンド内の仲は悪かったですよね。ある意味都会的なバンドだったんで、殴り合う、罵り合うってことはなかったんですけれど、最後まで話し合いもなかったですね。ある日レコード会社のデレクターが来て、「次回の作品から森重と戸城の二人で続けていくようになったから」って言われて「え! クビ!?」みたいな。森重さんに事情を聞こうと思ったら番号変わってて「これ計画的犯行やん!」って(笑)。もう笑い話ですけどね。今はみんなと普通に話ししてますよ。
――ZIGGY時代で楽しかった思い出は、なんですか?
一番最初に日比谷の野音(日比谷公園大音楽堂)でライブができた時ですかね。僕の中で“野音”は《聖地》なんですよ。武道館は外タレを見に行くところっていうイメージ。“野音”はやっぱり「ここでキャロルが解散したんだ!」とか「『MODS』の“雨の野音”があったんだ!」とか思い出がいっぱいあったので、野音は燃えましたね~。僕にとっては、やっぱり“野音”の思い出が一番ですね。
「THE8-eit」のライブの模様。大山氏(写真右)とヴォーカルの椿真一氏。
絶頂期のZIGGYを1992年に脱退し、その後、バンド活動やプロデューサー業を続け、現在は「THE8-eit(エイト)」というバンドで活躍中の大山さん。近々ライブがあるそうですが、その前売り料金が……!?
――8月8日の「THE8-eit」さんのライブの前売りが、「8円」となってますが、これはいったい!?
そうです(笑)。8円でライブをやりますよ、ドリンク代は600円のままで、ゲストチャージは1,000円ですが(笑)。でもカッコよくないですか!? 前売り8円、当日4,500円! 最初は「888円でやろうか?」って言ってたんですけれど、「ここは潔く8円でしょう!」っていうことになりました。無料ライブはみんなやってるし、それもなんか粋じゃないなと。
――なるほど、ちなみに今後、釧路に戻りたいという気持ちはありますか?
いつも思ってますよ!(笑) でも、向こうに行ってもまだやることがないので、すぐには帰れないですけどね。今は釧路市の人口が減っていっているので、それを見ると「なんとかならないのかなぁ」って感じます。駅前に大通りがあるんですけれど、僕がいた頃は帰宅時間なんか人が凄かったんです。族車がガンガン走り回っててお姉さんナンパしたりしてて、その中を縫うようにして帰っていたんですけれどね……。もう一度あんな活気を取り戻す仕事ができれば。
――最後に、東京や都会へ出てこようとしている道東の若者たちへ、一言お願いします。
そのままで出ておいでって。とりあえず、東京へ来たかったらいいから出ておいでって。そんな感じですかね。
——ありがとうございました!
Profile
大山正篤(おおやま・まさのり)
1964年5月25日生まれ・北海道釧路市出身。
音「G.D. FLICKERS」「ZIGGY」のドラマーを経て、
音楽プロデューサーや講師として活躍。
現在はバンド「the 8-eit」のドラマーとして活動中。
取材協力
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