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バンド『ROVO』のリーダーでエレクトリック・ヴァイオリニストの第一人者、勝井祐二さんのお話・前編

2018.10.4

道東出身の有名人の方に改めて道東の素晴らしさを語っていただき、そしてまた、道東の外へ出ようと思っている若者への指針を語ってもらうコーナー! 

第2弾は釧路市出身で、バンド『ROVO』のリーダーであるエレクトリック・ヴァイオリニストの第一人者、勝井祐二さんです!

産まれ育った釧路の思い出

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――釧路には何歳頃まで住んでられたのですか?

僕は釧路で産まれたんですけれど、9歳まで釧路で過ごしてその後は札幌へ引っ越したんです。最初の家は弥生町といって旧市街の町にありましたね。両親とも北海道出身で、父親が医者で僕が生まれる前に釧路日赤病院の外科部長になって釧路に赴任することになったんですが、その社宅があったのが弥生町でした。

弥生町の家の時によく覚えているのが、家の前を石炭を積んだ馬車が毎朝通っていたことですかね。その風景はハッキリ覚えてますよ。春採という石炭採掘の場所があって、そこから港の方を通って家の前を通っていたんだと思います。それと、家は海が近い高台にあったので、そこから坂の下を見ると海がキラキラ光って見えました。そういうものが子供心の原風景にあります。あと港も近いので、朝捕れたイカを売りにくるんですよ。それもよく覚えてますね。近所の人たちはみんなそれを買ってイカの刺身を朝ごはんのおかずにするんです。

――朝からイカ刺しってあまり聞いたことがないですね!

漁師町でしたからね。あと、食べ物で覚えているのは『東屋』さんっていう美味しい蕎麦屋さんがあって、蕎麦が緑色なんですよ。だから産まれた時から蕎麦は緑色だと思っていたんですよ。それで、その後札幌に引っ越した時に蕎麦がみんな茶色だったのでカルチャーショックを受けましたね。

旧市街の弥生町で産まれ、4歳からは当時の繁華街にほど近い花園町へ引っ越したという勝井さん。

――9歳までなのによくいろんなことを覚えてられますね。

そうですね、3年前に釧路に行ってみたんですが、釧路時代の道を全部覚えてましたね。僕の産まれ育った弥生町の家はなくなっていたんですが、道なんかは住んでいた頃と全く変わってなかったですよ。あと、花園町の方も行って自宅から通っていた小学校までの道のりを歩いてみたんですけれど、『ポプラ公園』という公園があってそこを斜めに突っ切ると近道だったんですよ。それで公園に入ってみたんですけれど「あっ!」と思って。公園ある遊具から何からそのまんまだったんですよ。鉄棒なんかも錆びついてるんですけど現役で、ちょっとしたタイムスリップを味わいましたね。

――釧路も含め、北海道の食べ物で思い出に残るものはありますか?

まず、北海道の魚と野菜の美味しさって、東京へ出てきて初めてわかりましたね。学生時代に居酒屋で友達がイカ刺しを注文したんですけれど、そのイカを見て「これを食べるの!? これ死んでるよ!」って言っちゃったんです(笑)。新鮮かどうかがひと目でわかりますから、東京に出てきた当時は、全然イカを食べようと思いませんでした。

――さすが釧路出身ですね!

あとはサンマですかね。釧路ではサンマが捕れ過ぎると売れ残ったものをタダでもらっていたんですよ。母親や近所のおばさんたちが両手にバケツを持ってもらいに行くんですが、今思えばあのお知らせはどこで知ったんだろう? それとサンマに関して最近思ったのは、サンマを凄く綺麗に食べる方っているじゃないですか。僕も綺麗に食べようとするんだけど、どうしても汚くなってしまう。「何故かな?」って考えたら僕はワタの部分を食べないんですよ。北海道にいた頃はいくらでもサンマが食べられたので、身しか食べてなかったからなんだと気づいたんです。

――羨ましい感覚ですね。

あと、従兄弟が大学生の時に全国旅行みたいなことをしたことがあったのですが、京都に立ち寄った時に「焼き鮭の皮を残した」って従兄弟が怒られたという話がありまして。その話を聞いて親戚中が大騒ぎですよ。「鮭の皮を食べるの?」って(笑)。今は焼き鮭の皮は食べますが、その頃は食べる部分じゃないと思ってたんでバンバン捨ててましたね。

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幼少期の思い出から話は変わって、音楽との出会いの話へ。

――ヴァイオリンはいつ頃始められたんですか?

弥生町にいた時から習っているので、3歳頃ですかね。うちの父親がヴァイオリンが好きで自分でも弾いてたんですが、大人になってから始めたので自分の子供には幼い頃から習わせようって思いがあったみたいです。4歳上の兄貴が習っていて、それを見ていたので僕も真似してやってみたいとなって。

――それからヴァイオリンはずっと続けられたのでしょうか?

やめている時もありましたよ。クラシックのヴァイオリンは10年でやめて、中学時代はロックバンドを始めて。高校生の頃には札幌市内のライブハウスに出演するようになって。将来的にまたヴァイオリンを持つなんて考えてもいなかったんですよ。

――どのようなバンドをやっていたのですか?

《ポストパンク》ですね。《パンク》よりも前に出てきていた《プレパンク》みたいなものが好きでした。だから、《ポストパンク》のバンドをやるために、まずはロック好きな中学の同級生を集めて家に呼んで、「KISS」が好きだ、「QUEEN」が好きだっていう中学二年生たちにそういったややこしいレコードを聴かせていました(笑)。

――そういった音楽への目覚めはいつ頃からでしたか?

11歳くらいからですかね。きっかけはやはり兄貴の影響ですね。兄貴のレコードや雑誌なんかであっという間に感化されて、すぐに僕の方が夢中になりましたね。4つ上の兄貴に追いつこうとしてその音楽の対象を掘ってるんで、だいぶ大人びてたんじゃないですかね。輸入レコード屋さんが当時札幌に2〜3軒あったんですけれど、僕はヴァイオリン教室の行き帰りにレコード屋に寄って、そこのレコードを全部みていました。その頃は欲しいレコードを買うためにお年玉を貯めて、すべてレコードのために使いましたね。

そんな音楽マニアな少年時代を過ごした後、東京の大学へ。

東京と北海道の違い

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――東京へ出てきた時に苦労したことはありましたか?

ひとつは気候ですね。高温多湿で、特に梅雨には驚きました。北海道の6月は梅雨もなくて年内で一番さっぱりして新緑が綺麗で一番過ごしやすい時期なんですよ。それと、都内に入ると風景が全部霞んで見えることにも驚きました。

――それくらい空気が汚れているということですか?

いえ、恐らく湿気のせいだと思うんです。今でも札幌に帰ると晴れた日に実家から遠くの山を見ると、木の形まではっきり見えますよ。目の悪い僕でも色鮮やかに見えるんですよ。「あれ、目がよくなったのかな?」と錯覚するくらいです。それは帰ると毎回思いますね。北海道に行く時は皆さん、意識してみたらおもしろいですよ。東京に来てからは湿気が多い、暑い、全体的にボヤッとしているしで息苦しくて大変でした。気候に慣れるのには、相当時間がかかりましたよ。

――それはあまり気付きませんでした。

そうですね。それと「北海道の人は寒いの強いでしょ?」と、よく東京の人に言われるんですけれど、僕は苦手です。北海道の家って凄く暖かい造りなんですよ。なので実家に帰ると半袖、短パン、裸足で過ごしています。もちろん出かけるとなったら着込みますよ、寒さ対策は命に関わりますので。でも、寒さでいうと東京の方が寒く感じるんですよね。それで最近思ったのが、やっぱり湿気が原因なんじゃないかと。雪って湿気を吸うので北海道って乾燥してるんですよ。

――湿気以外には何か発見はありましたか?

あとは、大阪出身の小説家が友人にいるんですが、その方の作品を読んでいて「昼間からお酒を飲んで道路で寝ちゃった」みたいな情景を「よくある大阪の風景やなぁ」って書いてあるんですが、これが未だに理解できないんですよね(笑)。実際釧路には路上で寝ている方やホームレスの方もいなかったですし。

――ではまた音楽のお話を聞きたいのですが、大学時代は勝井さんの好きな音楽をわかってくれるご友人はすぐに見つかりましたか?

それが、入った大学に能狂言の笛方、一噌流家元の一噌幸弘くんが同級生でいたんです。彼がもの凄い音楽マニアで、フリージャズや現代音楽や即興音楽に詳しい上にレコードコレクターだったので、彼と仲良くなって僕がまだカバーできていなかったややこしい音楽、フリージャスなんかを教えてもらったりして、それから一緒にバンドをやることになりました。

その時はフリージャズやインド音楽を参考にしてやっていたのですが、そこで「ギターとかじゃないな」と感じたんです。“自分はヴァイオリンを弾ける”ってことに気づいたのと同時に、楽器屋街を歩いてた時にエレクトリック・ヴァイオリンに出会ったんです。その瞬間に自分のやるべきことがわかったんです。これだなって。

――当時すでにエレクトリック・ヴァイオリンという存在は知っていましたか?

はい、たとえば、ジャズフュージョンやプログレなどでヴァイオリンが入っているものはいくつか聴いてたんですが、実はそんなに好きではなかったんです。ヴァイオリンが入っていて「この人は上手いな」とか「下手だな」って感じで意識はしていたんですけれど、《ポストパンク》の方向から即興演奏をよくわかりもしないのに眺めてるってところに当時はいたんで、いわゆる往年のフランク・ザッパとか《プログレッシブ・ロック》のヴァイオリンは自分のやりたい音楽とは違っていたんです。

――そこでヴァイオリンが復活したんですね!

一噌くんと始めたバンドでは彼が曲を作っていたので彼の音楽にエレクトリック・ヴァイオリンをどういう風に入れていくかを思った時に参考になったのが「シャクティ」というバンドでしたね。超絶に早いユニゾンの嵐で一噌くんは「シャクティ」が大好きで、僕も好きだったのですが、そこにいたエル・シャンカールというヴァイオリニストが視野に入ってましたね。

――偶然そんな趣味の合う方に出会えるって凄いことですね。

僕が曲を作って僕が歌うっていう趣味性の高いバンドや友達のバンドの手伝いなども、一噌くんのバンドとは別にやっていたんですけれど、ある日「なんか違うな」って感じたんです。「世界と繋がっていないな」って。そっちのバンドでは月1回ライブをやって友達が来て、打ち上げをやってという感じでしたけれど、「あ、これじゃないな」って。当時は世界情勢が凄い動いてる時代だったので、そんなこともあって自分が世界と繋がるにはやはりエレクトリック・ヴァイオリンだなと。

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ライブストリーミングチャンネル「DOMMUNE」で行われた「DRAMATICS」(勝井祐二&ササキヒデアキ)のライブの模様。

東京でエレクトリック・ヴァイオリンと出会い、本格的な音楽活動を開始した勝井さん。釧路から東京、そして世界へ飛び出していくその後のストーリーは後編へ続きます!



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Profile
勝井祐二(かつい・ゆうじ)
1964年9月19日生まれ・北海道釧路市出身。バンド『ROVO』のリーダーであり、インディーズレーベル「まぼろしの世界」主宰。エレクトリック・ヴァイオリニストの第一人者として世界各国でライブ活動中。

Information
『勝井祐二 × KenKenランチライブ』
開催日時:10月7日(日)13時30分開演(12時30分開場)
会場:下北沢「440」
入場料:2,000円(前売り)/2,000円(当日)1オーダー600円〜
チケット予約:下北沢「440」店頭

『勝井祐二ソロライブ』
開催日時:10月7日(日)19時開演(18時開場)
会場:西八王子「喫茶ミラクル」
入場料:2,000円/1オーダー(前売り・当日)
チケット予約:西八王子「喫茶ミラクル

『ROVO LIVE at UNIT 2018』
開催日時:11月24日(土)18時開演(17時開場)
会場:東京・代官山「UNIT」
入場料:4,200円(前売り)/4,700円(当日)別途ドリンクチャージ
チケット予約:チケットぴあ

Officialウェブサイト
「勝井祐二の旅スケジュール」
「ROVO」

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