バンド『ROVO』のリーダーをはじめ、ソロ活動でも活躍している釧路出身の世界的エレクトリック・ヴァイオリニスト、勝井祐二さんのインタビュー・後編をお届けします。
前編はこちらから!!
夜の世界から再び音楽の世界へ
ーー大学卒業後、就職を考えたりはされましたか?
しなかったですね。就職というか学生の時にビリヤードが好きで、ビリヤード場でアルバイトをしていたんです。そうしたら当時、ちょうどビリヤードブームがきてしまって。僕が働いていたビリヤード場が六本木にプールバーを出すことになって、これが大繁盛して大学を卒業するタイミングで僕はそこのビリヤード部門のチーフになったんです。なのである意味就職したというか、夜の世界、黒服に就職したようなものでしたね。
今振り返ると若かったものですから、もちろん音楽も好きなんですけれど、その時はプロになろうなんて思っていなかったです。ビリヤードと同じで、音楽も“好きなもののひとつ”だったんです。当時はバランスが明らかに「ビリヤード・水商売・六本木」に傾いていました。
ーー現在の勝井さんからは想像がつかないですね……。
その頃は「このままこの世界で生きていくのかな」なんて思ってたんですが。ある時「いや違うな」と。そう思った時から「ちゃんと音楽をやっていこう」って夜の生活をスパッとやめました。楽しいは楽しい生活でしたけどね(笑)。やめた後は1991年に『JAPAN – UK Festival』という文化交流博覧会のメインの展示の音楽を担当して、会場で流すインスターレーションのための音楽を大友良英さんと一緒に作りました。それからイギリスに渡ったんですが、当時イギリスはレイブカルチャーが全盛期の時代でもうそれにハマってしまって、毎週レイブに行ってました。これは本当にカルチャーショックでしたね。それから「DJパーティを日本でもやろう」と思ったんです。
ーー1992年に始められたイベント『WATER』ですね。
はい、『WATER』を始めた頃は、お客さんが全然来てなかったですね……。僕らもカルチャーショックを受けて帰ってきて、「日本でああいうものはないのか」と探したんですがないんですよ。いわゆる“クラブ”というところにも行ったんですが、「これは違うな」と。それで「自分たちでやろう」ということになって始めたんです。会場は借りやすいところで『代々木チョコレートシティ』の土曜日の夜中を借りたんですが、それが1992年から1993年にかけてですね。でも「さぁ、みんなで踊りましょう!」と急に言っても、日本でいきなり根付くわけもなくて。
ーー日本のレイブカルチャーの立ち上げに関わられたんですね。
そうですね、でも僕は途中で離脱した感じになりました。オーガナイザーというのは音楽家でもないわけで、本業の音楽の方に割く時間を増やすというか、色んなバンドの活動が少し忙しくなってきた時期でしたし。1993年くらいから音楽活動もよりおもしろくなってきて「自分はこれをやるんだ」と思えてきたんです。海外にライブに行ったりする機会も増えて感じたのは、「ああいうダンスミュージックをやりたいけれど、僕はDJじゃないな」と。自分の得意な言語ってやっぱりバンドなんですよ。それで山本精一さんに話をして『ROVO』の結成に繋がっていくんです。
毎年5月に日比谷野外音楽堂で行われている『ROVO』主催の『MDT FESTIVAL』でのライブの模様。
ーーそれから世界的に活躍することになるんですね。
その後、『WATER』の仲間のDJたちは『RHYTHM FREAK’S』ってイベントを始めて『ROVO』と合流します。それが世間から注目を集めて『RAINBOW 2000』などの野外パーティーへ繋がっていくんですが、日本におけるダンスミュージックシーンの第一期みたいな時の、そのど真ん中にいましたね。今の『ROVO』主催のパーティ『MDT FESTIVAL』は、そんな流れを組んで今でもやっています。
ーー今までの多彩な音楽活動の中で、勝井さんが一番感動した瞬間はいつですか?
世界中で活動をしてきたので、記憶に残るようなことって沢山経験してきたのですが、やはり『System 7』というバンドとと『ROVO』が一緒に演奏した時ですね。『System 7』は元々『GONG』というプログレッシブロックバンドのメンバーがやっているんですが、僕は『GONG』を10歳から聴いていてレコードも全部持っていたんです。もちろん彼らが『System 7」をやり始めてからも聴いていたんです。僕がレイブカルチャーを体感して、彼らがダンスミュージックの『System 7』を始めた時は凄くシンクロしているなと感じましたね。
それから何年かして日本のフェスティバルで出会って一緒にやることになったんです。でも京大西部講堂で『System 7』と『ROVO』がちゃんと合体してライブができるのかなって不安に思っていたんです。会場は満員のお客さんで、そこにスティーヴ・ヒレッジ、 ミケット・ジラウディのふたりと同じステージに立って。なんでしょうね……その時、今までの音楽人生で感じたことのないような《多幸感》を感じましたね。
ーーやることをやっていたら自然に繋がったということでしょうか?
そうですね、たぶん今ここでやるべき音楽をやるということ、ずっと彼らがやってきた音楽と僕がやってきた音楽が同じ目的でシンクロしたんだと思うんですが、その時「これが愛かな」と思いました。音楽と人を結ぶという。たぶんこういうふうに彼らは音楽を通じてお客さんと接してきたんだろうなと、その場所に同じ目的でステージに立った時に、言葉にはちょっとできないんですけどそういうものが生まれましたね。
釧路から世界へ出て
――現在も北海道にはよく帰られるんですか?
そうですね、今は北海道でやっている『RISING SUN ROCK FESTIVAL』というイベントによく出演させてもらっているんです。それで3年前の出演後に思い立って釧路に降り立ってみたんです。9歳で札幌に引っ越してから一度も帰ったことがなかったんですね。札幌で暮らしてると、釧路に行く用事がないんですよ。ライブハウスもあるんですけれど、僕は今までご縁がなくて。
ーー帰った時には何を食べましたか?
この前帰った時は、栄町周辺の飲み屋街にある『つぶ焼かど屋』でつぶ貝を食べましたよ。美味しかったですね~。普通は〆に行くお店なんですけれど、開店と同時に行ったらすぐに満員になっちゃって。あとザンギ専門店の『鳥善』に行きましたよ。今の釧路はメインの商店街よりも栄町周辺の飲み屋街の方は活気がありますね。
――ちなみに、ザンギと唐揚げの違いって何か感じましたか?
味が濃いとうか、ソースに付けて食べたりするんですよ。違いというか、大学時代に北海道に帰ると地元の友人に「東京って”ザンギ”のこと”ザンギ”って言わないらしいね」って言われたのを覚えています。「鳥の唐揚げって言うんだよ」って答えたら友人は「なんでザンギをザンギって言わないんだ!」って不思議がってました(笑)。
ーー最後に、東京や都会へ出てこようとしている道東の若者たちへ、一言お願いします。
自分が住んでいる地元にも素晴らしいところがたくさんあって、自分の育ってきたコミュニティというのも大切なものだと思うんですけれど、世の中には”外側”というものがある。それは札幌もそうだし、東京もそうだしもっというと外国もそうですね。外に出てそこの場所に行かないとわからないものってたくさんあって、わからないことだらけなんです。だから、できるだけ外に出る機会をつくって欲しいですね。
できれば若いうちに外国へ行ってほしいです。旅行でもなんでもね、自分たちと違う生活は見ないとわからないですから。そういうものを現場を見ずにネットの知識だけ見ていると、先入観にとらわれてしまうような気がするんですよ。だから、とにかく外に出てほしいです。僕も東京に出てきて渋谷に降り立った瞬間に「あ、今日お祭りあるんでしょ?」ってなりましたよ。ただ交差点で人が待ってるだけだったんですけどね(笑)。それだけでも大きなショックだったわけですから。地球の裏側に行かなくとも、「鮭の皮を食べるか捨てるか」みたいな文化の違いがあるわけです。
ーーありがとうございました!
Profile
勝井祐二(かつい・ゆうじ)
1964年9月19日生まれ・北海道釧路市出身。バンド『ROVO』のリーダーであり、インディーズレーベル「まぼろしの世界」主宰。エレクトリック・ヴァイオリニストの第一人者として世界各国でライブ活動中。
Information
『勝井祐二 × KenKenランチライブ』
開催日時:10月7日(日)13時30分開演(12時30分開場)
会場:下北沢「440」
入場料:2,000円(前売り)/2,000円(当日)1オーダー600円〜
チケット予約:下北沢「440」店頭
『勝井祐二ソロライブ』
開催日時:10月7日(日)19時開演(18時開場)
会場:西八王子「喫茶ミラクル」
入場料:2,000円/1オーダー(前売り・当日)
チケット予約:西八王子「喫茶ミラクル」
『ROVO LIVE at UNIT 2018』
開催日時:11月24日(土)18時開演(17時開場)
会場:東京・代官山「UNIT」
入場料:4,200円(前売り)/4,700円(当日)別途ドリンクチャージ
チケット予約:チケットぴあ
Officialウェブサイト
「勝井祐二の旅スケジュール」
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