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28歳で上京、人形作家として活躍している新栄町出身の恋月姫さんの話【後編】

2019.3.20

道東出身の有名人に改めて道東の素晴らしさを語っていただき、そしてまた、道東から夢を追いかけようと思っている若者への指針を語ってもらう当コーナー!

前編に引き続き、新栄町出身の人形作家・恋月姫さんの後編をお届けします。

前編はこちらから

【取材協力】東京・杉並「Studio LunaAngelico

人形が《完成》するまでの時間

ーー恋月姫さんが最終的にビスクドールを作ろうと思ったきっかけはなんでしたか?

お店にいた頃はビスクドールの売り買いをずっとしていました。やがて、自分でも作りたくて仕方がなくなってきました。当時の私には、ビスクドール制作のノウハウはなかったのですが、「粘土での人形制作は疲れるな、少し上に進みたいな」と思った時に、ビスクドールを作っている先生と出会ったのです。その方はお客さんでいらしてた方で、レプリカを作っている日本人の作家さんでした。そこで私が「作り方を教えてください」と言って、習いにゆくことになりました。作り方というか、絵付けの仕方を習うという感じですね。

ビスクドールとは二度焼きした磁器製の人形だとのこと。語源はフランス語の「Biscuit(ビスキュイ)」からきていて「二度焼いた」という意味だそうです。ちなみに「ビスケット」も語源は同じ。恋月姫さんのアトリエでは陶芸窯と同じで、電気で焼くものを使っているそうです。パーツごとに細かく作って焼くため失敗も多いそうですが、失敗を恐れず作っていくことでいいものができるとのこと。

ーーちなみに「恋月姫」という作家名はどこから付けたのでしょうか。

最初に人形を作った時だと思います。「人形屋佐吉」の店主が、私のお人形に「恋月姫」と名前を付けたのです。それで「いい名前だな」と思って人形作家の名前にさせてもらいました。

ーー人形を作る時に、映画や本といった何か参考にするものはありますか? 

ないですね。私は、自分の好きなものを全部人形に入れ込みますが、「誰のどの作品に影響を受けた」というようなことはないです。私は、人形を作る時にテーマは決めず、「何か出てきちゃった!」というものが理想です。どこにでも、好奇心の抱けるところに行けば、自分の中に絶対何かが入ってきますよね? そういったものを人形を作る時に出す感じです。私には、もともと《何か背負っているもの》があって、それを降ろしたくて、人形作りに至ったのかなとも思っています。その背負っている何かを表現する術(すべ)が、私には人形作りだったというか……。たとえば絵を描いていても、私の中では結局《人形》が出てきてしまう。人形がないと消化できないのです。人形という存在感を出さないと《何か》が降りてこない。「何かが降りてくるだろう」と思ってそうするのですが、降りてきた瞬間に終わるのです。「来た来た!」って感じですね。その《何か》がすべて人形に入らないと、私には完成とは言えないのです。

ーー恋月姫さんの中でその《何か》は、人形を作ってくる時に降りてくるのでしょうか? それとも降りてきてから作り始めるんでしょうか?

降りてきてからでは遅いです。制作に時間がかかるので、作りながら来たものを受け取る、そして、その受け皿として人形がある感じでしょうか。だから最終的にどういった人形ができるのか、私にもわからないです。

ーー1体の人形が完成するには、どれほどの時間がかかるのですか?

私にとっての人形は魂が入った瞬間に完成なので、そういった瞬間というのは年に数回もないです。作っている間はただ作っているだけ。何も考えないで作っているのですが、何かが降りてきて完成となるので、何体作ってもできない時はできないし、できちゃった時はできちゃった時です。そこは不思議なところですね。だからテーマを考えたりすると、その段階で“構想何年”になってしまう。このテーマでやりたいけれどできない、でも何年かしてある瞬間できる時もあるーーというのは人形にはコスプレに近いところがあって、そのものだけでは何も表現できない。物語を与えることによって、1つのテーマ性のある物体とするところがあるものなのです。

ーー人形の大きさは、どのくらいの大きさがよいのですか?

私は大きい方が好きで、本当は等身大で作りたいのです。でもそれは、なかなか大変なので、今は身長80センチくらいのものが楽かなとは思います。でも、あまり楽な思いをして作っても満足しないですね。過去に作った身長130センチの子もいますが、壊れる確率も高いですし、全体のバランスをとるのも大変です。今はもう、精神的に作れないですね。人形は焼いてこのサイズになるのですが、焼く前はもっと大きいのです。

ーー人形1体を作るのにかかる費用は、どれくらいですか?

制作費は、人件費がほとんどで、材料費はそんなに高くないです。だから制作日数によりますね。作る作家さんにもよりますが、私は制作日数は長い方で、時間をかけないとできない方です。原型を作るだけでもすごく時間がかかるので、作業に時間かかる時間は、今では2年スパンですね。前までは1年に1体作っていましたが、最近そのスパンではできなくなってしまいました。

ーー人形が完成となるまで、色々な要素があるんですね。

手を動かすという作業だけとればただの作業なんですけれどね。昔はずっと作り続けていましたけれど、今はそこまでの体力がないです。だから、一般的な仕事と同じ、8時間労働と決めています。

ーーそれでも、1日に8時間もやられているんですね!

作っている時はあっという間ですよ。「もう帰る時間!?」って感じで、時間は気にならないですが、体力的には疲れている(笑)。

ーーご自身で人形の洋服も作るのですか?

私は、お洋服のデザインはしますが、なるべく他の人に作ってもらうようにしています。今は、うちの工房のスタッフが作ってくれていますよ。

恋月姫さんが制作しているビスクドールは、「球体関節」という肘や膝といった関節部分が球体構造の人形です。

ーー恋月姫さんの中で、なぜ「球体関節人形」だったのでしょうか?

最初の人形との出会いが、球体関節人形だったからですね。19世紀のヨーロッパの人形は、球体関節人形が主流です。あの時に見た広告と出会う前だと、私が絵を描き始めたのが中学生の時で、今思えばその時から球体関節人形の絵は描いていました。何かで見たのでしょうね、きっと。球体関節としての人体、機械のような存在だけれども「魂が宿ってるぞ」っていう部分をイメージして描いていました。その頃は何をしたいのかはわからないけれど、作り方もわからないのにとにかく人体のような人形を、紐を繋げて一生懸命作った覚えがあります。

ーー人形の世界に入るにあたって、何か特別な感覚はありましたか?

最初は特にそういった感覚はなかったんですけれど、ある日「私の仕事はこれだ」と思った瞬間がありました。それは人形を見ているうちに人形がわかるようになったというか、人形の顔がわかるようになった時ですね。買付けに行く時に何が良くて悪いのかという人形の価値観みたいなものがわかったのです。それと、私は、一度見た子は忘れないんですよ。人は名前も顔も覚えられませんが、人形の顔だったら髪型や服を変えられていてもわかります。「あそこにいたあの子だ」というように。

ーーそこまで顔を覚えられるのはすごいですね! ちなみに、恋月姫さんが見た中で一番高い人形はどれくらいの値段のものですか?

高いと3,000万円くらいですね。それは当時の買い付けレートですけれどね。今の相場では、もう少し安くなっていると思いますよ。

ーー3,000万円級の人形とは、一体どんなものなのですか。

110年くらい前のものですね。その頃がヨーロッパの市場でも”黄金期”と呼ばれる時代で、いい作品が多く出た時代ですね。昔は作家というよりは工房で作っていたので、とにかくいい時代、日本でいえば明治時代というか。なかでも特殊な人たちがいて、すごくいい作品が作られていました。

ーーご自身でも人形を買ったりすることはありますか?

今でも集めているお人形がありますよ、「ブリュ」で作られたお人形です(※1866年から1899年に活動したパリのビスク・ドール製造会社)。もっと高いお人形もあるんですけれど、そっちには興味がないですね。でも、値段が高くて、あまり集められてはいないです。その代わりに引き取ったりすることもあるので、一応ここでも「ブリュで製造されたものがほしいです」と言っておきますね(笑)。お人形の交換なんてこともしますので。最近は、購入されていた方たちの”終活”で引き取るというパターンもあります。コレクター同士で繋がって里子に出すというかね、そうやって少なくしても、また買ってしまうという(笑)。

ーー今後考えている活動がありましたら、教えてください。

ここでギャラリーをやりたいので、お人形に限らず、色々な方たちに使っていただきたいという思いがあります。キッチンもあるので、展示でなくてお茶をするとかの用途でも大丈夫ですよ(笑)。舞台でもなんでも、やりたければどうぞという感じです。

ーー恋月姫さんのホームページを見ましたが、アトリエでは人形教室もやられていますね。

はい、人形教室を始めたのはごく最近なんですよ。アトリエが完成してからなので教室は2018年6月からですね。

現在も変わらない東京への思い

最後にもう一度、故郷と人生について語ってもらうことに。

ーー釧路には今もよく帰られますか?

今でもよく帰りますよ。帰ると「私はやっぱり北海道の人間なんだな」と感じることがありますね。空港に着いた瞬間から「ここ、うち?」と思うくらい言葉が懐かしいです。皆、妹の声に聞こえるんですよ、「あれ? 妹がいるのかな」と思って見みると違う(笑)。

ーー釧路に帰った時に、必ずすることはありますか?

ほぼないです(笑)。今年も帰りましたが、友達もいないですし、家でずっとゆっくりしてましたね。家族で温泉に行ったことくらいでしょうか。

ーー将来的に、釧路へ戻ることは考えたりしますか?

私の場合、初めからそのつもりはないですね。家を出る時に両親から「2年したら帰ってこい」と言われて「はい、わかりました」と言ったのですが、「もう帰ることはないぞ!」と思っていました。どこの地方でもそうなのかもしれないですが、釧路の街も、いわゆる”地元の繁華街”がなくなって、今はショッピングモールがあるだけですよね。昔はデパートやレコード屋さんとかがあったのに、そういうものがなくなってコンビニになっていました。驚きですよね。文化の香りがするお店がなくなってしまうと、私のような仕事をする場合、もう東京に出るしかないのかなと思います。若い方も、やりたいことがあるならば、やはり東京に出てきた方がいいですね。東京へ来てよかったことは、「一流のものと出会える」という部分ですね。どの世界でも一番の人たちがいたりして、自分もそういうところを目指せるというのは、やはり凄いことだと思います。

ーー東京では表参道、高円寺と住んでこられましたが、他に住んでみたい場所はありますか?

海外ならいっぱいありますね。外国なら旅行中でも「ここなら住める!」とよく思います。道民の気質は「おおらかで、よそ者を受け入れやすい」と思います。どんどん心を開いていける感じが、私には普通だと思っていたのですが、東京に来て初めて違うと感じました。東京ではなんでもかんでも鍵を締める、ここまで鍵をかけるんだってことに驚きましたね。心にも鍵をかけるというか、あまり相手と接しない、ある程度の距離を保つ。それが自分にはあまりなかった感覚でした。相手にどんどん入っていく、逆に入りこまれちゃう、距離をうまく保てないというそこが北海道民の良さであり、騙されやすいという弱さでもありますね。

ーーでは最後に、道東の読者の皆さん、特にこれから夢を実現してゆく若者たちへ、恋月姫さんからアドバイスをお願いします!

やはり「自分を信じて」と言いたいですね。東京に来れば、なんでもある。だから、何かの一番になれる可能性もあるわけです。そして、そこで培ったものを大事にしてもらいたいなと思います。

人形作家として現在も活躍している恋月姫さん。
自分の技術を若い人に教えたいという思いから、人形教室も主催もしています。そして、取材に使わせていただいたこの素敵なアトリエは、人形教室やギャラリー以外でも、事前予約をすれば期間を決めてではありますが、公開してくださるそうです。
皆さん、ぜひ恋月姫さんの素敵なお人形たちに会いに行ってみてください。
恋月姫さん、貴重なお話をしていただき、ありがとうございました!


 

Profile
恋月姫(こいつきひめ)
1955年生まれ、北海道釧路市出身。
1980年から人形作家として活動を開始。個展の開催や作品集も多く発表してるほか、海外の展覧会にも意欲的に作品を出展。2018年からアトリエ『LunaAngelico』で人形教室も行なっている。

Officialウェブサイト「銀の翼

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